山崎家盛の墓(龍徳寺)やまざきいえもりのはか
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山崎家盛は江戸時代初期の若桜藩初代藩主で、慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の後に摂津国三田より三万石で鬼ヶ城主となった人物である。
山崎家盛の墓は龍徳寺の境内墓地にあり、遺髪を祀ったものと伝えられている。龍徳寺は曹洞宗の寺院で家盛が菩提寺として現在地に移したもので、父山崎片家の法名「龍徳院法性覚玄大居士」にちなんで名付けられたという。
山崎家盛の墓は境内の奥にある墓地の一角にあり、大銀杏の下にある五輪塔がそれである。
【参考】龍徳寺案内板