蜂須賀家墓所(万年山)はちすかけぼしょ(まんねんやま)
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明和3年(1766年)十代藩主蜂須賀重喜によって造営されたのが万年山墓所である。 蜂須賀家墓所は菩提寺である大雄山興源寺にあったが、藩政改革の一環として万年山に墓所が造営され、以降十三代までは儒式で万年山墓所に埋葬、興源寺には遺髪を埋葬した。
万年山墓所へは眉山公園から降りてくるルートと大安寺の東側にある登り口から登るルートがある。政勝の墓は眉山公園へ向かう車道のすぐ近くにあるが、他の藩主の墓は中腹より下にあるので、下から登るほうが簡単である。