阿波徳島藩蜂須賀家歴代の墓所は大雄山興源寺と万年山の二ヶ所に存在する。
興源寺は徳島城内にあった蜂須賀家政の異父兄である東嶽禅師を開山とする江岸山福聚寺がその前身で、家政の時代に現在の下助任町に移され、寛永13年(1636年)忠英のときに大雄山興源寺と改められた。
興源寺は家祖蜂須賀政勝から歴代藩主の墓所となっていたが、明和3年(1766年)十代重喜が藩政改革の一環として万年山に墓所を造営し、以降十三代までは万年山墓所に埋葬され、興源寺には遺髪が埋葬された。
蜂須賀家 興源寺墓所は興源寺にあり参拝可能である。興源寺には参拝者用の駐車場もある。