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阿波国分寺県史跡
徳島県徳島市国府町矢野阿波国分寺は現在の国分寺境内を中心とした方二町(約218m四方)の規模と推測されている。発掘調査によって金堂から伸びると想定される回廊跡、築地跡、寺域を区画する溝などが検出されている。
境内の片...
阿波国分尼寺国史跡
徳島県名西郡石井町石井字尼寺阿波国分尼寺は字「尼寺」という地名から長らくこの地に眠っていると考えられてきた。昭和に発掘調査がなされ、方一町半(約158m四方)の寺域が確認され、伽藍の配置も明らかになった。
伽藍は南門、中門...
三好長治終焉の地町史跡
徳島県板野郡松茂町豊岡山三好長治は三好実休(義賢)の嫡男で父の戦死後に家督を継ぎ、三好氏の中で阿波・讃岐などを治めた。幼小で家督を継いだため篠原長房の補佐を受けていたが、元亀4年(1573年)には長房を上桜城に攻め自刃に追い...
石井廃寺県史跡
徳島県名西郡石井町城の内奈良時代前期(8世紀前半)と推定されている寺院跡で、童学寺の前身とする説があり童学寺跡とも呼ばれる。
童学寺の北東の緩斜面地形にあり、現在は県指定史跡となっている。昭和30年代の発掘調査で金堂跡...
蜂須賀家墓所(興源寺)国史跡
徳島県徳島市下助任町2阿波徳島藩蜂須賀家歴代の墓所は大雄山興源寺と万年山の二ヶ所に存在する。
興源寺は徳島城内にあった蜂須賀家政の異父兄である東嶽禅師を開山とする江岸山福聚寺がその前身で、家政の時代に現在の下助任町に...
蜂須賀家墓所(万年山)国史跡
徳島県徳島市佐古山町明和3年(1766年)十代藩主蜂須賀重喜によって造営されたのが万年山墓所である。
蜂須賀家墓所は菩提寺である大雄山興源寺にあったが、藩政改革の一環として万年山に墓所が造営され、以降十三代までは儒式で...
阿波水軍森家墓所市史跡
徳島県阿南市椿泊町(道明寺)江戸時代に松鶴城(森甚五兵衛屋敷)に屋敷を構えていた阿波水軍森甚五兵衛家の歴代墓所である。
細川真之の墓
徳島県那賀郡那賀町和食郷細川真之は阿波守護細川持隆の長子として天文7年(1538年)に生まれた。
天文22年(1553年)三好義賢によって父持隆は討たれ、以後真之は三好義賢の傀儡として利用された。
天正4年(1576...
細川之照の墓
徳島県小松島市櫛渕町山口細川之照は細川真之の子で真之が茨ヶ岡城で自刃して果てた後、難を逃れて櫛渕城の秋元氏の娘婿となり、その子義則は代々庄屋となったという。また一般的に真之の子六郎之照は畠山高政の養子となり畠山之照と称したこ...
一宮城移築門(清水寺)
徳島県徳島市南佐古三番町2一宮城の城門と伝えられるものが清水寺(せいすいじ)の山門として移築されている。
清水寺は高野山真言宗の寺院で、山号を諏訪山と号し、本尊は准胝観音像である。
平島(阿波)公方の墓(西光寺)
徳島県阿南市那賀川町赤池(西光寺)室町幕府11大将軍足利義澄の次男足利義冬(義維)を初代とする平島公方(阿波公方)の墓所が菩提寺である西光寺境内にある。
平島公方の墓は初代足利義冬と養父足利義稙、そして義冬の子で14大将軍となっ...
犬伏左近の墓
徳島県板野郡藍住町東中富字西傍示犬伏左近は犬伏城主で板西城主赤沢宗伝の赤沢家十二人衆の一人とされるが、天正10年(1582年)中富川の合戦で討死した。
犬伏一族は勝瑞城落城後に帰農し、藍住町東中富へ移り住んだと云われ、ここに犬...
小宰相局の墓
徳島県鳴門市鳴門町土佐泊浦土佐泊墓碑
土御門上皇行宮跡
徳島県阿波市土成町吉田御所屋敷の一不明
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