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尾張国府
愛知県稲沢市松下2東海道に位置する尾張国は、格付けでは上国・近国である。
尾張国府は中島郡に置かれていたが、まだ確定できる遺跡は発見されていない。
稲沢市松下に「国衙」という地名が残り候補地の一つとして発掘調査...
三河国府
愛知県豊川市白鳥町上郷中東海道に位置する三河国は、延喜式の格付けでは上国・近国である。
国府は宝飯郡に置かれており、現在の豊川市白鳥町上郷中付近と豊川市国府町付近に比定されている。
白鳥町上郷中にある三河総社に隣接す...
尾張国分寺国史跡
愛知県稲沢市矢合町椎ノ木尾張国国分寺は稲沢市矢合町・堀之内町一帯に置かれていた。
元慶8年(884年)火災によって焼失し、以後再建されることなく愛智郡の願興寺に役目が移され荒廃したという。
国分寺跡は大部分が畑などに...
尾張国分尼寺
愛知県稲沢市法花寺町国分寺の北西に法花寺町があり、大齢山法華寺という曹洞宗のお寺がある。
このお寺には平安時代のものという木造薬師如来坐像が伝わり、国指定重要文化財に指定されている。このお寺一帯に国分尼寺があったと推定...
三河国分寺国史跡
愛知県豊川市八幡町三河国分寺は現在も曹洞宗国分寺の境内となっている。現在の国分寺の本堂のある所が金堂跡であることが確認された。境内の西には塔跡があり、基壇と礎石が残されている。国分寺には平安時代と推定される銅鐘(梵鐘)...
三河国分尼寺国史跡
愛知県豊川市八幡町三河国分尼寺は現在「三河国分尼寺跡史跡公園」として整備されており、「三河天平の里資料館」が併設されている。中門が立体復元、その他の建物跡は平面復元されている。
伽藍の規模は約150m四方、南大門...
奥平出雲守貞盛の墓(和田の宝篋印塔)
愛知県新城市作手保永奥平出雲守貞盛は亀山城主奥平貞俊の次男で、和田城を築いて和田奥平氏となった。
奥平貞盛の墓は和田城とは国道を挟んだ西にあり、民家の小屋の脇を少し登ると、宝篋印塔二基と石祠が祀られている。
佐脇刀祢太夫の墓
愛知県豊川市御津町下佐脇市場佐脇刀祢太夫は佐脇城主で天正3年(1575年)長篠合戦で奥平氏に従い武田軍と戦い討死した。
佐脇刀祢太夫の墓は県道の北側にある。
西郷弾正の墓(医王寺)
愛知県豊川市篠束町郷中西郷弾正は肥前の出身で、仁木氏の三河守護代としてこの地に根付き篠束城主となった。
医王寺の境内に松風碑があり、西郷弾正の墓と伝えられる。同寺には幕末から明治にかけて国学者として活躍した本多匡の墓...
岡田家墓所(大永寺)
愛知県名古屋市守山区大永寺町208大永寺は山田重忠が小幡に建てた寿昌院がその前身で、大永元年(1521年)に星崎城主の岡田重頼が再興して大永寺と改めている。
大永寺の墓地には岡田家の墓所があり、川村北城主岡田時常の墓もある。
成道山松安院大樹寺
愛知県岡崎市鴨田町広元5-1大樹寺は浄土宗の寺院で、文明7年(1475年)に松平氏四代親忠によって建立、勢誉愚底上人を開山とする。七代松平清康によって七堂伽藍・多宝塔が造営された。
大樹寺は徳川将軍家および松平家の菩提寺で...
大給松平乗元の墓
愛知県豊田市大内町三本松松平乗元は岩津城主松平親忠の二男で大給城を居城として大給松平氏の祖となった。
大給松平の家系は江戸時代に三河国西尾藩、豊後国府内藩、美濃国岩村藩、信濃国龍岡藩がある。
松平乗元の墓は大給城...
馬場美濃守信房の墓市史跡
愛知県新城市長篠西野々51-1馬場信房は馬場信春ともいい、甲斐の武田家の重臣であった。
天正3年(1575年)設楽が原の合戦で武田勝頼は織田信長、徳川家康の連合軍に敗れた。このとき殿(しんがり)として奮戦したのが馬場信房で、...
鳥居強右衛門の墓(新昌寺)
愛知県新城市有海稲場(新昌寺)鳥居強右衛門は長篠城主奥平貞昌の家臣で、天正3年(1575年)武田勝頼によって長篠城が包囲されると、城を脱出して岡崎城の徳川家康の元に走り、援軍を求めた。しかし、その帰路、武田軍に見つかってしまい、「...
源頼朝誕生之地(誓願寺)
愛知県名古屋市熱田区白鳥2-10-12史跡
愛智塚石塔群(笠寺観音)
愛知県名古屋市南区笠寺町上新町墓碑
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