馬場信房は馬場信春ともいい、甲斐の武田家の重臣であった。
天正3年(1575年)設楽が原の合戦で武田勝頼は織田信長、徳川家康の連合軍に敗れた。このとき殿(しんがり)として奮戦したのが馬場信房で、見事に武田勝頼を戦場から離脱させ、自身は追撃してくる織田軍に攻め込んで討死した。その場所は新城市出沢と伝えられている。
馬場美濃守信房の墓は長篠城の近くにあり、ここは信房の首を埋めた場所と伝えられている。
馬場美濃守信房の墓は長篠城から国道151号線を西へ500m程進んだ所にあり、国道の南側に道標がある。そこから入って行った広場に墓がある。