鳥居強右衛門の墓(新昌寺)とりいすねえもんのはか
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鳥居強右衛門は長篠城主奥平貞昌の家臣で、天正3年(1575年)武田勝頼によって長篠城が包囲されると、城を脱出して岡崎城の徳川家康の元に走り、援軍を求めた。しかし、その帰路、武田軍に見つかってしまい、「援軍は来ない」と城内に知らせることで早期に開城させようと画策するも、それを拒んで援軍が来ることを城内に伝え、その場で磔に処せられたという。
鳥居強右衛門の墓は新昌寺にあり、強右衛門の子信商が建立したものが由来という。