築城年代は定かではないが小川氏によって築かれたと云われる。小川氏は丹生川上神社の神主で、長禄の変で神璽を後南朝方から奪還した小川弘光が著名である。
小川城は東吉野村役場の南方に聳える標高410m程のハルトヤ山にあり、現在は稲荷神社の境内となっている。
南北に大きく三つの曲輪が並び、南端の最高所にある稲荷神社境内が主郭となる。 主郭の南端には櫓台のような一段小高い所に城石碑が建っており、その背後に二条の堀切がある。主郭の北端付近には石積があるが、これらは神社建立によるものかもしれない。
主郭から北へ続く二つの曲輪はそれぞれ堀切で区画され、北端の曲輪には無線施設がある。尾根の北端を遮断する堀切は規模はさほど大きなものではないが、竪堀として東山腹に長く伸びており、登山道を貫通して落ちている。
登山道は村役場の向かいにある交番の裏側の道を東へと進んでいき、やがて民家の脇から登山道へと繋がっている。道がわからなければ交番で聞けば教えてもらえる。