築城年代は定かではないが比江山掃部助親興によって築かれたと云われる。 親興は長宗我部国親の弟長宗我部国康の次男である。
親興は天正10年(1582年)阿波国岩倉城を守備していたが、豊臣秀吉による四国征伐により敗れ比江山城へ戻った。天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐で長宗我部元親・信親父子は豊後国戸次川合戦で敗れ、嫡子信親は討死した。元親は四男盛親に家督を譲ることとしたが、親興はこれを諌言した。しかし元親はこれを聞き入れず親興は責任を取って自害、妻子には罪がないと正福寺へ逃されたが、元親はこれを捕えて処刑した。
比江山城は国分川と領国川が合流する地点の西にある丘陵に築かれている。
現在は比江山を祀った比江山神社が建てられている。城跡は大きく改変されているが、神社が祀られている所が主郭で一部土塁が残り、北側は空堀を挟んで大土塁、その外側は道路に面して溝が残るのでここも空堀の跡であろうか。
県道45号線国府小学校の南の交差点を東へ曲り、県道256号線を東へ進む。比江山廃寺の手前200m程の所を北へ曲り、熊野神社・永源寺の脇を抜けると山の中で右へ入る道がある。この先が比江山神社。
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