丹後 建部山城たんご たてべやまじょう

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (丹後国/京都府) > 建部山城
Tweet
丹後 建部山城の写真
掲載写真数
形態
山城(316m/310m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
なし
城 主
一色氏
歴 史

築城年代は定かではない。建武3年・延元元年(1336年)一色修理大夫範光が建部山城を築いたのが始まりとも云われるが詳らかではない。

明徳3年(1392年)明徳の乱で功のあった一色満範が丹後国守護職に任ぜられ、加佐郡の八田館を守護所とし、その背後にある建部山に詰城を築いたのが建部山城の始まりと云われる。

天正6年(1578年)織田信長の部将細川藤孝が丹後へ侵攻し、翌天正7年には一色義道の籠もる建部山城も落城し、義道は中山城へと退いた。しかし、中山城主の沼田幸兵衛が細川氏に内通したことから、義道は中山城で自刃して果てたと云われる。義道の子の一色義定は弓木城に退いて防戦し、細川氏と和睦している。

説 明

建部山城は舞鶴港(西港)と由良川の間に聳える標高315.7mの建部山山頂に築かれていた。ルビは『たてべ』あるいは『たけべ』とも読む。

丹後守護職一色氏累代の居城と云われる建部山城であるが、明治34年(1901年)に海軍舞鶴鎮守府が開庁し、舞鶴港が軍港として開かれるにあたって、これを防御するための砲台が建設され中世山城の遺構は消滅したと云われる。

現在山頂部にはレンガやコンクリート造りの砲台跡が残されており、「舞鶴要塞 建部山堡塁砲台跡」の案内板が設置されている。

案 内

登山口は東麓の喜多地区にある。国道175号線から府道601号線に入り800m程北上すると左手の団地内に登山口の案内板が見え、駐車スペースがある。(地図)

最寄り駅(直線距離)
1.4km 四所駅
2.3km 東雲駅
3.4km 西舞鶴駅
3.5km 西舞鶴駅
5.5km 丹後神崎駅
所在地/地図
京都府舞鶴市喜多建部山
付近の城(直線距離)
0.4km 丹後 建部山西支城
0.5km 丹後 千坂城
0.6km 丹後 建部山東支城
0.9km 丹後 佐織城
0.9km 丹後 福井北城
1.0km 丹後 寺ノ谷城
1.0km 丹後 辻ノ谷城
1.1km 丹後 福井城
1.1km 丹後 打越城
1.6km 丹後 下福井城
1.7km 丹後 中山城
1.8km 丹後 丸田東城
2.2km 丹後 丸田宮ノ谷城
2.2km 丹後 愛宕山城(舞鶴市引土)
2.3km 丹後 愛宕山北城
2.5km 丹後 神明山城
2.7km 丹後 和江宮ノ谷城
3.0km 丹後 丸田安ノ奥城
3.1km 丹後 蒲江大田城
3.1km 丹後 城屋西城
3.2km 丹後 城屋東城
3.2km 丹後 三日市城
3.3km 丹後 田辺城
3.3km 丹後 和江城
最終訪問日
2013年9月
TOP > > (丹後国/京都府) > 建部山城