永正13年(1516年)和田斉頼によって築かれたと云われる。 和田氏は文明3年(1471年)谷基綱が地頭として信濃国南和田より入部(一説にそれより三代前の谷頼綱が至徳年間(1384年〜1387年)に入部した説もあり)したのが始まりとされる。 基綱の子頼衡は一族の斉頼を婿として迎えたが、斉頼は養父頼衡を殺害して和田日向守と名乗り、近隣を侵略して井原荘を和田荘と改名したという。
斉頼は天文13年(1548年)病没し、師李が城主となったが、天正7年(1579年)丹波へ侵攻した明智光秀に攻められ落城した。
天正14年(1586年)近江国木戸より佐野栄有が三千七百五十石で入封すると、岩尾城を近世城郭へと改修した。文禄4年(1595年)佐野栄有は近江国木戸へと移り、その後は前田玄以の属城となって慶長2年(1597年)廃城となった。
城は和田小学校の北に聳える蛇山に築かれている。主郭部は山頂で、南へ伸びる尾根(大手道)を中心に曲輪が配置されている。
岩尾城は中世城郭から近世城郭へと変貌をとげる過程にあって、主郭部は石垣で固められ、天守台が設けられているが、北尾根の曲輪や南尾根にある削平地は土塁や堀切による防御となっている。
登山口は三ヶ所あって、和田小学校裏、親縁寺の西、そして和田交差点付近の稲荷神社から登ることができる。
稲荷神社から登って和田小学校裏へ降りるルートで登ったが、途中親縁寺の西方向へ降りるルートはピンクのテープで通らないようにされていたので、今もこのルートから登れるのかはわからない。
和田小学校裏は小学校の敷地を通らないと登山口にたどり着けないので、「休校日以外は学校に連絡せよ」と校門脇に書いている。
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