築城年代は定かではない。 天正6年(1578年)の城主は赤沢義政で笑路城主長沢氏とは姻戚関係であったという。
穴太城は小幡神社の南西背後にあり、犬飼川に沿って北東へ伸びた丘陵に築かれている。
穴太城は標高167.4mの山頂部、標高150m程の山腹部、北東の尾根先標高120m付近と三つの曲輪群から成る。
山頂部は三角点のある所がやや小高く、南背後に低い土塁が付いているが、その背後は緩斜面で鞍部にも堀切はない。最高所から北東側に小さな平段を段々と連ねている。
山腹の曲輪群は南背後を浅い堀切で遮断し、最高所の小さな平段の周りを緩斜面地形が巡る。尾根の先端部分は帯曲輪として周囲を巡っている。
小幡神社のすぐ背後から続く北端の曲輪群は中央部に堀切があり、北曲輪群と南曲輪群に分かれる。北曲輪群は南北に土塁が付き、北に二段の曲輪が付く。南曲輪群は西よりに土壇が南北に続き、南端を堀切で遮断する。
登り口は小幡神社の奥にある稲荷の脇、川の土手沿いを山向かった所にもある。
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