詳細不明。城主は菱田介次郎あるいは楠氏が伝えられる。
古世城は現在の昌寿院一帯に築かれていた。昌寿院のある所が二の丸で、南に本丸、西に三の丸と三つの曲輪で構成されていたようである。昌寿院の山門に古世城の案内板が設置されている。
この古世城は亀山城が築かれたとき、総構えの南東端に組み込まれ、古世城の南東の空堀はそのまま亀山城の総構えの堀となっていた。元禄10年(1697年)にはここに京口番所が設けられた。
古世城一帯は宅地となっており、明瞭な遺構は残されていないが、昌寿院付近は東より一段高く、本丸も南東側より一段高い地形が残されている。