築城年代は定かではない。城主は細川晴元の家臣酒井三河守と伝えられる。
笑路城主長沢重綱が法貴坂の「明智戻り岩」で明智光秀と対面したとき、酒井孫左衛門がこれを取りなし、長沢重綱の所領は安堵されたという。
法貴山城は法貴坂にある「明智戻り岩」の北西に聳える標高400mの山頂に築かれている。
山頂は東西に長く北斜面は急峻な地形となっている。主郭は東西に長い山頂部に築かれており、低い土塁が巡り、中央部に東西を区画する土塁と堀らしき窪地がある。主郭はそれを取り囲むように南側に弓形状の大きな横堀を二重・二段に配しており、下の横堀からは途中に竪堀が三条伸びている。
東の尾根は堀切から竪堀が南へ長く伸び、西の尾根は堀切から横堀となってから竪堀として伸びている。西の竪堀の東側には土塁で囲まれた張り出しの小郭があり、そこから食い違いの土塁と桝形状の空間がある。
主郭部も南端に開口部があり、横堀と竪堀がそのまま通路の役目を果たしているようである。
国道423号線沿いに「法貴谷ハイキングコース」「明智戻り岩」の標識が建っており、そこに駐車できる。ここから北西の山へよじ登ると途中から山道が付いている。一旦平坦な所に出るが、そこから少し北へ登り、西へ転じると主郭に至る。(地図)
最寄り駅(直線距離)