築城年代は定かではない。『校補但馬考』に「源国吉・丁亥年使いを遣はし来りて、舎利分身を賀せしむ。書に、但馬州津山関佐々木兵庫助源国吉と称す」あるとされ、応仁元年(1467年)に津居山港の領主が佐々木国吉で、その居城が津居山城とも考えられている。
津居山城は円山川河口の津居山湾にある津居山と呼ばれる山に築かれている。津居山城は南の八幡神社の部分が館城、北の標高113mの所が詰城と考えられている。
南端の八幡神社には兵庫県指定文化財の「石造九重塔」があり、鎌倉時代中期をあまり下らない時代のものだという。麓にも鎌倉時代のものと伝えられる「浜地蔵」がある。この八幡神社の境内のある所自体が急傾斜地で、北側背後に箱堀状の地形が残っている。
八幡神社への西側の参道を少し降りた所から、背後の尾根に通じる道の入口があり、そこから北の詰城にある無線中継塔まで山道が付いているのだが、周囲は荒れ地の部分が多く、草木が生い茂っている。主郭部には堀切と思われる窪地があるものの、そこまでの道のりには階段状になった小さな段がある程度で、はっきりとした遺構ではない。北側へ続く尾根にも曲輪や土塁などが残っているようなのだが、散策する気にならず下山した。
八幡神社の参道は東と西の両方にある。詰城の部分は境内から西側の参道を少し降りた所に入口がある。海の堤防沿いに駐車できる。
最寄り駅(直線距離)