寛永年間(1624年~1644年)頃に大野毛利氏によって築かれた。
大野毛利氏は津和野三本松城主吉見氏の家系であるが、当主吉見広長が出奔すると、吉川広家の子が先代広頼の娘と婚姻して養子となり、吉見政春と名乗った。
寛永14年(1637年)熊毛郡大野一帯に所領が与えられ、秀就より偏諱を受けて毛利に復姓し、毛利就頼と名乗った。これにより毛利一門大野毛利の祖となった。
大野毛利氏館は平生小学校の北西にあった。狭い路地を入って行った所に、案内板が設置されている敷地がある。
大野毛利氏館の東隣には郷校弘道館があった。案内板の脇に石祠があるが、その家紋は二つ引両で吉見氏のものである。