宝暦13年(1763年)萩藩毛利氏によって設けられた。 熊毛宰判勘場管轄のうち塩田、室積、伊保木、光井、岩田、三輪、束荷、上関宰判勘場管轄のうち吉井、宿井、川西、波野、大波野、上田布施を切り離して中熊毛宰判勘場の管轄とした。
明和5年(1768年)勘場の場所が管轄地の端にあり問題が多いことから管轄の中央にある岩田村へと移された。しかし、安永3年(1774年)には中熊毛宰判勘場そのものが廃止となり、各村は元の勘場の管轄に戻された。
中熊毛宰判勘場は専光寺の北側、浜商通り沿いにある「ささ乃や」の前に案内板と石碑がたっている。もともと、町家の一部を借り受けて設置されていた勘場であるため遺構もない。