築城年代は定かではないが渡辺飛騨守長によって築かれたと云われる。
渡辺氏は安芸毛利氏の譜代家臣で、飛騨守長の父渡辺通は、毛利元就が天文12年(1543年)大内義隆に従って尼子を攻めて大敗を喫したあと、元就の身代わりとなって討死している。
晩年飛騨守長は玖珂郡広瀬村、湯野村や長門の厚東郡などで五千石ほどを賜り、広瀬に居館を構え、朝霞城を築いたという。
朝霞城は広瀬の北背後にある東南東に伸びた尾根に築かれており、現在は登山道が整備されている。
曲輪Iを最高所として東西に伸びた尾根に低い段差で削平地を連ねているが、全体的に造成は甘く、切岸もさほど明瞭ではない。東端は堀切1、西尾根は堀切2で遮断するが、その先を少し登った辺りにも堀切3がある。
渡辺飛騨守長による築城とされるが、現状の縄張からはもっと古い時代を思わせる。
岩国市の錦図書館を目指す。図書館前の道を北の山に登り始めるところに案内板が設置されている。ここから車道を上がると渡辺飛騨守の墓と朝霞城への登山道の案内がある。
図書館または登山口のさきにある忠魂碑の辺りに駐車可能。
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