築城年代は定かではない。『守矢満実書留』に寛正5年(1464年)の条に「上伊那宮所龍ヶ崎之城」と出てくるのが史料の初見である。
天文14年(1545年)甲斐の武田信玄が福与城の藤沢氏を攻めた時、深志の小笠原長時が福与城の後詰として龍ヶ崎城に布陣したため、荒神山に布陣した武田軍は背後に敵を背負うこととなった。しかし、武田の武将板垣信方によって龍ヶ崎城は攻め落とされ、小笠原長時は深志へ退き、これによって福与城も開城となった。
龍ヶ崎城は南東へ細長く伸びた山に築かれている。
主郭は土塁囲みで東に開口し、堀切を挟んで南下に小さな曲輪を配している。北西背後は大堀切で、その奥にも小さな堀切を連続させ、側面に竪堀を落としている。主郭の南西側面にも連続竪堀があり側面移動を防いでいる。
主郭からさらに北西の山上に登って行くと、幾つかの浅い堀切を経て小さな曲輪へと到達する。この曲輪の北側に堀切があり、ここまでが城域となっている。
南東麓にある池上寺の南、国道153号線の小横川入口交差点を西へ入った所に登山道入口がある(地図)。近くの路上の空きスペースに駐車可能。
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