築城年代は定かではないが南北朝時代に香坂氏によって築かれたと云われる。 香坂氏は滋野氏の庶流で佐久郡香坂郷発祥。その香坂氏の庶流が南北朝時代に大河原城を居城とした伊那香坂氏で、後醍醐帝の皇子宗良親王を迎え三十年余にわたって庇護し続けた香坂高宗が著名である。
この香坂氏の一族が大草氏を称して大草城主となったとみられ、「結城御陣番帳」に大草殿、「諏訪御符札之古書」には大草香坂左衛門有宗などの名が残る。
大草城は天竜川の東岸にあり、南側にはその支流が流れる段丘の上に築かれている。 現在は大草城址公園として整備されている。
東屋のある中央の小高い所が主郭で、西下に東西に長い曲輪、北の駐車場となった曲輪の三郭で構成されている。以前には土塁や堀も残っていたようであるが、開墾や公園化によって現在は確認できない。
中川村役場の東側の道路を南へ進むと公園がある。
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