築城年代は定かではないが平安時代末期に名子氏によって築かれたと云われる。 名子氏は船山城主片切(片桐)氏の一族で、名子郷を分知され名子氏を称した事に始まると云われる。
「吾妻鏡」によれば仁治2年(1241年)に信濃国住人奈古(名古)又太郎が、承久の乱の恩賞に漏れていた事を追賞しており、これが名子氏と考えられている。
名子館は中央保育園の南側にある果樹園付近に築かれていた。 現在果樹園の中に標柱が建っている。城郭大系によれば東側の土塁と西側の堀が現存しているというが、周囲は宅地や田畑となり遺構は確認していない。
標柱の建つ果樹園は中央保育園と名子中部集会所との間にある。
最寄り駅(直線距離)