宝暦8年(1758年)戸田忠言によって築かれた。
江戸時代はじめ足利の地は天領であったが、元禄元年(1688年)徳川綱吉の生母桂昌院の弟本庄宗資が五千石の加増を受け、一万石で大名に列し陣屋が設けられた。しかし、翌元禄2年(1689年)には再び一万石の加増を受け、元禄5年(1692年)常陸国笠間へ転封となった。
宝永2年(1705年)戸田忠時が三千石の加増を受け一万一千石で大名に列し、四代忠言の時に足利陣屋が築かれた。以後、戸田氏が八代続き明治に至る。
陣屋は足利氏館である鑁阿寺の西に設けられていたが、現在市街地に没しており遺構はほとんど残されていない。 南側を東西にはしる県道67号線沿いの通3丁目と通2丁目の間に陣屋大門の石碑が建ち、そこから北へ少し入った所に陣屋の井戸が残っている。
陣屋表門(移築 城門)