文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
不明
歴 史
別府城の支城で天文7年(1538年)島津忠良によって
別府城とともに攻め落とされた。
説 明
現在残された遺構を見るかぎりシラス台地に築かれ、深く広い堀と急峻な切岸に囲まれた曲輪群で構成された南九州の典型的な城郭のようだ。
加世田運動公園の建設によってどの程度破壊されたのかはわからない。
3つの曲輪に登ってみたが、そのうち一つには高さ2m程の土塁が残っており、一つは運動公園と繋がっていた。
案 内
運動公園の北東側に展望台があるが、その手前を南へ進むと街へと降りる階段がある。それを降りて行くと竹薮の中に遺構が残っている。
所在地/地図
最終訪問日
2008年1月