築城年代は定かではないが南北朝時代に伊作島津氏によって築かれた。
伊作島津氏は久長を祖とし、忠良(日新)の時代に勢力を広げ、子貴久は本家を継いで戦国大名へと成長した。義久の時代には九州北部まで進出したが、豊臣秀吉による九州討伐に敗れ、江戸時代は鹿児島藩となる。
伊作城は伊作川北岸の比高80m程の丘陵に築かれており、現在は県指定史跡として整備されている。
伊作城はシラス台地に深い空堀を巡らせた群郭式山城で、本丸に相当する「亀丸城」を中心とし、「蔵之城」、「山之城」、「東之城」、「御仮屋城」、「西之城」、「花見城」などの曲輪群で構成されている。
本丸である亀丸城には島津義久、義弘、歳久、家久四兄弟などの誕生石などがある。
山上に駐車場がありトイレも完備されている。南の県道沿いに道標が出ている。