築城年代は定かではない。グスク時代に沖縄本島が北山国、中山国、山南国に分かれていた頃、山南王の王城であったと云われる。ただし、南山城を王城とする説もある。
佐敷小按司であった尚巴志は島添大里グスクを攻め落とし、居城を島添大里グスクへ移った。三山統一を成し遂げた尚巴志は首里グスクを築いて移ったが、島添大里グスクは離宮として整備され、首里グスクにつぐ規模の正殿が築かれていた。
島添大里グスクは標高155mの丘陵に築かれており、現在は公園として整備されている。
公園に入ると芝生の広場があるが、この辺りは外郭で、奥に見える小高い部分が内郭となる。 外郭には石塁やチチンガと呼ばれる井戸などがある。内郭も崩れた石塁が散らばっているが、この辺りに正殿が築かれていた。内郭の西端付近に島添大里按司の墓がある。
公園に駐車場がある。
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