築城年代は定かではない。古くは英祖王の墓(浦添ようどれ)が作られ、極楽寺が造営された。やがて察度王統以前の王城となっていったが、尚思紹、尚巴志父子による三山統一の過程で滅ぼされ、グスクは廃された。
再び浦添グスクが蘇るのは第二尚氏三代尚真王の長子であった尚維威衡が廃嫡され、浦添に隠棲したことに始まる。第二尚氏六代尚永王に嗣子がいなかったため、浦添家から尚寧王が七代を継いだ。しかし、この尚寧王の時代に薩摩の琉球侵攻があり、浦添グスクも焼き払われたという。
浦添グスクは牧港川に沿って北西に伸びた細長い丘陵に築かれている。現在は浦添ようどれとともに国指定史跡として公園整備されている。
浦添グスクは巨大なグスクであったが、沖縄戦のときに日本軍の陣地が置かれたため、米軍による攻撃にされされ壊滅的な打撃を受けた。戦後はさらに石や岩盤が削り取られたため、グスクの石塁は現状わずかな根石しか残っていない。
浦添ようどれも壊滅的な打撃を受けたが復元工事がなされ、見事な石垣が復元された。浦添グスクも駐車場から入る入口部分の石塁が高く復元されている。現存する根石はグスクの南西側面の遊歩道から見ることができる。
公園の無料駐車場がある。
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