築城年代は定かではない。本格的にグスクが整備されたのは尚巴志によるものと考えられている。やがて三山を統一した尚巴志の父尚思紹から始まる第一尚氏七代、第二尚氏十九代の王城として明治まで続いた。
尚思紹、尚巴志父子は佐敷グスクの按司であったが、浦添グスクの中山王武寧を降すと、浦添から首里グスクへ移り、思紹が中山王に即位した。1416年には今帰仁グスクの北山王、1429年には南山グスクの南山王を降してはじめて三山を統一した。
第一尚氏は七代尚徳王が没すると、重臣であった金丸のクーデターによって徳王の嗣子は殺され、金丸が尚円王と名乗って第二尚氏が始まる。第二尚氏は七代尚寧王のときに薩摩の琉球侵攻があり、これによって古琉球(グスク時代)が終わったとされる。第二尚氏は十九代尚泰王のとき沖縄県が設置されたことにより、東京への移住を命ぜられ、琉球王国の幕は閉じた。
首里城は標高120mの高台に築かれている。正殿など様々な建物が復元されてきたが、残念ながら2019年の火災によって消失してしまった。
はじめて沖縄を訪れたのがこの火災のすぐ後であったため、内部は立入禁止であった。