築城年代は定かではない。十二世紀から十三世紀頃に築かれ、十四世紀には今のような縄張となったと推測させている。
今帰仁グスクはグスク時代の三山のうち北山王国の王城であった。今帰仁グスクの築城以前にはシイナグスクを築城していたが、水の手の問題により今帰仁グスクの地が選ばれたとの伝承がある。
北山王国は1416年中山王国によって攻められ滅亡し、その後は護佐丸などの監守が置かれていた。しかしこれも1609年の薩摩島津軍による琉球侵攻によって今帰仁は攻め落とされ、以降廃城となった。
今帰仁グスクの当初の遺構は岩盤を削り、岩の隙間を石積で埋め、内部を版築によって付き固めて平場を作り出し、掘立柱の建物と周りには柵を巡らせていた。その後、石垣や石塁を築き、正殿を礎石建物へと変えていったようである。
今帰仁グスクは南の最高所にある主郭を中心として十郭ほどの曲輪群で構成されており、曲輪を囲繞する石塁はきれいな曲線を描く。大手は平郎門で両脇にそれぞれ2ヶ所の狭間がある。
北側に無料駐車場がある。城内は有料である。