尾張 千賀屋敷おわり せんがやしき
△トップに戻る
慶長7年(1602年)千賀氏によって築かれた。
千賀氏はもともと幡豆崎城主であったが、関ケ原合戦後に徳川家康から旧領師崎千五百石を与えられこの地に戻ってきた。このとき廃城となっていた幡豆崎城の古材を利用して千賀屋敷を構えたという。
千賀氏はその後、清洲城主となった松平忠吉、さらに尾張徳川家の家臣に組み込まれたが、代々明治まで続いた。
千賀屋敷は南の海に面した字的場にあったという。現在遺構はないが「千賀家の碑」が立てられている。
石碑は国道沿いにあるファミリーマートのすぐ北西側、細い路地の奥にある。