築城年代は定かではないが南北朝時代以前に熱海神宮大宮司の千秋氏によって築かれたと云われる。
暦応3年・興国元年(1340年)脇屋義助は美濃国根尾城を落ちのび、幡豆崎城に十日ほど逗留したのち伊勢に渡った。
関ヶ原合戦の時には、千賀孫兵衛とともに松平家信・小笠原信元・広朝兄弟・小笠原広勝が徳川家康の命によって幡豆崎城の守備に赴いている。 江戸時代には尾張藩家臣千賀氏の所領となり、慶長7年(1602年)破却したときに幡豆崎城の古材を転用して千賀屋敷を構えたという。
幡豆崎城は知多半島の先端幡豆岬に築かれていた。現在羽豆神社が南端に鎮座しており、石碑が建っているが遺構は残っていない。