詳細不明。伝承によれば仲哀天皇の頃に外船がしばしば能登の湊に入港したため、それを監視するために三室孝原が築いたとされる。
現状の縄張は戦国時代のものである。
幾保比城は赤蔵山から南東に派生した標高151mの山に築かれている。
幾保比城は単郭の城であるが、山頂部を広く土塁を巡らせ、内側より一段低くして堀状にしている。特に北西側は尾根から横矢の効いた折れを伴う虎口があり、そこから中に入ると土塁で囲まれた帯曲輪状の地形となり、さらに少し曲がって主郭の虎口へと入ることとなる。
虎口は三ヶ所ほどあり、先の北西尾根側から入る虎口が一番厳重な作りとなっている。東には方形の土壇が二つ並んだ虎口があり、一見櫓門を構えたような虎口であるが、外側の通路は判然としない。もう一つが南端の尾根先で、角部がちょうど土塁が切れており、下にある小さな堀切へと続く虎口となっている。
堀切は北東に二条、北西にやや離れた位置に二条の堀切がある。
北側に「憩いの森」という公園があり、そこから林道が続いている。林道は未舗装であるがそのまま奥山峠の方に向かって伸びている。これを途中で曲がって尾根伝いに行けば城域にでるが、曲がった先の林道は道が荒れており、この部分は徒歩で行った。終点から尾根を降りれば堀切がある。
最寄り駅(直線距離)