角四十二館の一つ。築城年代は定かではない。城主は黒土丹後で本姓秋本氏で鎌倉御家人の後裔という。黒土氏は安東氏が鹿角に侵攻した際に南部氏を離れ安東氏に味方した。天正年間(1573年〜1592年)に南部氏が鹿角を奪還した時、津軽に移ったと伝えられる。
黒土館は花輪館から福士川をはさんだ北側の台地に築かれている。 西側の県道に面した所に黒土稲荷神社と赤土稲荷神社があり、その東側の台地の上に西の曲輪があり、現在は果樹園になっている。西の曲輪の北から東側には大きく浸食された谷があり、その南東側に東曲輪がある。
県道66号線沿いの赤土稲荷神社参道入口付近に標柱が建っている。
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