陸奥 花輪古館むつ はなわこだて
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築城年代は定かではない。花輪氏の初期の館といわれ、「円子右馬之丞」と刻まれた墓標状の石碑が出土している。花輪氏は後に花輪館に移ったとされ、その後南部氏の配下となり円子村に二百石余りを賜り円子氏を称している。
花輪古館は花輪館の東側にある丘陵に築かれており、東西二郭で構成されていたようである。
東側の曲輪は宅地となって消滅しているが、本館は西側の曲輪と伝えられ、こちらは果樹園であったらしく原型に近い形で残っている。東側の堀は道路となっているが、北側に幅広の空堀が残っている。