平安時代末期に藤原泰衡によって築かれた。 文治5年(1189年)奥州合戦において、平泉の藤原泰衡は源頼朝軍を迎え撃つ為、藤原国衡に命じて阿津賀志山の中腹から阿武隈川の旧河川までの約3.2kmにわたり、土塁と堀による防塁を築かせた。
阿津賀志山防塁は厚樫山(阿津賀志山)の山腹から旧阿武隈川まで、滑川東岸に沿って南下するように築かれている。厚樫山山腹は現在でも東北自動車道、国道4号線、東北本線がごく狭い地形に密集して通っているように、交通の要衝であった。
国道4号線沿いに大きな看板が建っており、その付近には二重堀が残されている。石母田集落の方へ向かうと源義経の腰掛け松、石母田城、石母田供養石塔などかあり、東北自動車道の北側の側道から厚樫山山頂に通じる林道が付いている。この林道を登っていくと阿津賀志山防塁の始発点がある。
国道4号線沿いの遺構から南の阿武隈川方面(地図)にも二重堀の遺構が残されている。