文化3年(1806年)本庄道昌によって築かれた。 本庄氏は慶安元年(1648年)本庄道芳が五代将軍徳川綱吉に仕えて旗本となったことに始まる。道芳は綱吉の生母桂昌院の異母兄にあたる人物であったことから大身の旗本となった。
道芳の孫本庄道章は宝永2年(1705年)美濃国山県郡と方県郡などに六千石の加増を受け、一万石となって諸候に列した。道章は当初岩瀧陣屋を構えていたが、宝永6年(1709年)には高冨村石畑に陣屋を移し、文化3年(1806年)道昌の時に高冨村天王の高冨陣屋に移った。
高富陣屋は高冨小学校の北にある美里会館付近に築かれていた。現在遺構はなく美里会館に「陣屋の跡」の石碑が建っているのみである。