築城年代は定かではないが長元年間(1028年〜1037年)頃に木下道胤によって築かれたと云われる。 木下氏は平家所縁の人物で、以後代々居城となった。
元暦元年(1184年)木下道元のとき源氏の軍勢によって攻められ落城したという。
新宮城は蛇行する広戸川の北岸、標高204.3mの新宮山に築かれている。 新宮城は大きく東西二郭で、三角点は西郭、主郭は東郭である。全体的にだだっ広い平坦面を持つ城郭で、兵の駐屯地のような印象を受ける。
西郭は三角点のある辺りで、現在は植林のためか苅り払われているが、削平は甘く緩斜面である。この西郭は南西側に屈折を伴う土塁が残っており、横矢を意識している。土塁は内・外の二重であるが緩斜面にそのまま築かれており、高低差は少ない。内側の土塁に開口部があるが、横矢が掛からない位置で本来の虎口ではないようである。この土塁は南西側で途切れ、外側の土塁は大きく開口し、山道が付いているが、この外側の土塁の開口部も虎口なのか後世の改変なのかはっきりしないかった。
東郭は西郭と二条の堀切によって遮断された東側に位置する。堀切の間は小郭を挟んでいる。東郭の西端に位置する最高所は堀切に面して内高2m程の大土塁を設け、広大な平地を有する。土塁は南側で屈折して横矢の張り出しとなり、南下の腰曲輪は堀切から伸びた竪堀に対して土塁が付いている。
全体的に南側山腹に帯曲輪がいくつか付き、東郭は南東側に伸びた尾根に段々の平段を連ねるが、切岸の高さは概ね1m〜3m程である。南東端に弧状に堀切が付いている。
県道412号線沿いに土居集会所があり、その前に神社の鳥居がある。この脇から山に登る道が付いている。(地図)
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