築城年代は定かではないが難波行隆によって築かれたと云われる。 難波氏は備前の出自で美作に進出したのち行隆のときに鴛淵山城を築いて居城としたという。
文明4年(1472年)難波行季が城主のとき、山名氏によって攻められ落城し行季は討死した。
鴛淵山城は吉井川東岸の標高190m程の山に築かれている。
主郭は山頂にあり中央がやや小高く東西に低い段差で曲輪が広がる。北東へ続く尾根には一段下がって低い土塁が付いた腰曲輪があり、そこから更に降りると裾を巡るように空堀が付く。その先はやや平な段がありその先に斜めになった土橋のある堀切がある。ただし、この堀切に面した尾根は切岸にならず傾斜している。
主郭から南下に腰曲輪が数段続き、西側に一条竪堀が伸びている。主郭の西側は岩で、その下方に二段の小さな平段があり、その先に社がある。これが麓にあった「是より三丁登り大師道」とあった石碑の目的地であろうか。
県道26号線から羽仁橋で吉井川を渡る。その東詰めを川沿いに北へ進み谷川を一つ渡った先に小屋がある。ここに「是より三丁登り大師道」と刻まれた大正時代の石碑があり、ここから山頂まで薄い山道が付いている(地図)。
登り口付近には駐車スペースがないので橋を渡った先にある広い道路付近に駐めてくるのがよい。
最寄り駅(直線距離)