詳細不明。承安年間(1171年〜1175年)に藤原種憲が神田山に館を築いたという。 また、難波氏の一族が在城したとも云われるが詳らかではない。
神田山城は県道52号線に面した丘陵に築かれている。
主郭は山頂にあって社が祀られている。切岸はそれほど高くないが、西側は二段の帯曲輪があり、さらに周囲を取り巻くように帯曲輪が付く。この帯曲輪が北側では空堀となっており、南西側では竪堀によって遮断、南尾根は二条の空堀によって遮断している。
南尾根の二条の空堀は内側の東端が外側と合流し竪堀となって落ちている。主郭の南東下の腰曲輪がはこの竪堀と空堀に面して土塁を設けて備えている。
主郭から北東へ伸びた尾根に階段状に曲輪を連ね、先端に大きな堀切があり東麓へ竪堀として落ちている。この辺りは作業林道によって部分的に破壊されている。
県道沿いにある墓地の上から林道へ入る道があり、それをたどれば主郭に至る。
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