詳細不明。康安年間(1361年~1362年)広幡某のときに落城したと伝えられている。
三倉田城は吉野川に面した標高251.7mの硫黄平(よびら)に築かれている。
南端最高所にある曲輪Iから北へ向かって平段を連ね、東端に武者走りがある。曲輪Iの下には折れを伴う土塁を備えた広い曲輪IIがあり、西端に虎口2、東側に虎口3がある。 曲輪IIIは横堀ともとれる帯曲輪で、北東側に食い違いぎみの虎口1がある。
曲輪IIIの下方は北東側面にある畝状竪堀群1と、大手道の南側にある畝状竪堀群3、そして南北の堀が食い違いになって土橋が架かる堀切1を設けている。
畝状竪堀群2は上部に横堀があり、西が一段低く途中で鈎状に屈折し、最後は竪堀として落ちている。畝状竪堀の起点は横堀に結合しているものと、横堀の下方からはじまるものの二種類存在している。
畝状竪堀群3は堀切1の土橋から続く大手通路の南東側面に設けられており、やや離れた位置に竪堀4と竪堀5がある。
大手となる南東鞍部には南北両側に竪堀状に伸びる堀切1があり、中央は食い違いで土橋が架かる。この堀切1の上部と畝状竪堀群の下段との間には犬走りが二段設けられている。
登山口は西麓の県道沿いにある墓地のところからで、墓地の奥から谷筋に登って行くルートとなる。
車は川の西側にある河川敷に駐車可能である。
最寄り駅(直線距離)