寛治2年(1088年)山田七郎平吉之によって築かれたと云われる。
山田氏は観応2年・正平6年(1351年)山田則之のとき桐生城主桐生国綱によって滅ぼされた。
天正5年(1577年)里見随見勝政・勝安兄弟が上杉謙信の援助によって高津戸城を修復して拠点とした。里見兄弟は父の仇である用命の砦の石原石見を夜襲したが、石原石見は逃れて金山城の由良国繁を頼り、由良氏は大軍をもって高津戸城を攻め、里見兄弟は滅びた。
その後、由良氏の属城となっていたが、天正12年(1584)由良国繁と北条氏直が敵対すると、北条氏直は深沢城主阿久沢氏に高津戸城を任せている。
高津戸城は渡良瀬川東岸、高津戸峡に面した標高270m程の山に築かれており、現在山頂には要害神社が鎮座し、高津戸公園となっている。
高津戸城は山頂の本丸を中心に南へ伸びる尾根と北東に伸びる尾根に曲輪を配している。主郭は山頂にあって要害神社の境内となり、中央が一段高い土壇となってその周囲に腰曲輪が巡っている。
北東尾根は三段程の平段があり二条の堀切で遮断している。堀切は南側に横堀状に裾を回って伸びている。
南尾根にあるのが、二ノ丸・三ノ丸であるが、二ノ丸は大きな平段が数段あり、三ノ丸は駐車場になっている。
県道338号線沿いにある第十四区公民館から北へ入り、柏老人ホーム高津戸荘の手前のy字路を左へ入り終点まで行くと大きな駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)