築城年代は定かではないが応永4年(1397年)鎌原氏によって築かれたと云われる。 鎌原氏は信濃の豪族海野氏の一族で、真田氏などと同族である。
鎌原氏は関東管領上杉氏に属し、越後の上杉謙信の時代になると岩下衆として岩櫃城主斎藤氏に属した。しかし岩下衆の内訌によって鎌原氏は斎藤氏と争うこととなり、また領地問題で羽尾氏とも争いになった。やがて鎌原幸景は城を追われて武田氏を頼って信濃へ逃れ、鎌原城には羽尾入道が入った。
永禄5年(1562年)羽尾入道が万座温泉にいって留守のすきを突いて武田氏の支援を受けた鎌原幸景が鎌原城を奪還、武田氏は羽尾氏を滅ぼし岩櫃城主斎藤氏を越後に追いやった。
その後、鎌原氏は真田氏の与力となり江戸時代は沼田藩真田氏に仕えた。一国一城令によって鎌原城が廃城となった後は大笹関所の関守となり、明治まで代々続いたという。
鎌原城は吾妻川に面した断崖の上に築かれており、大半は耕作地になっているが、石碑や案内板、駐車場なども整備されている。
南北に伸びた台地の北端が主郭となり、台地を南北に区画するように東西に空堀を配していた。耕作地となって埋もれている部分も多いが、標柱も建っていてわかりやすい。
駐車場の南側には鎌原氏の墓所もある。
嬬恋郷土資料館を目指して行くのがわかりやすい。その南側に西に入っていく道があり道標が出ている。
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