築城年代は定かではない。城主は羽尾氏で滋野姓海野氏の一族と伝えられる。
永禄6年(1563年)長野原合戦では岩櫃城主斎藤越前守方として長野原城を攻略したが、すぐさま武田氏に奪い返され、羽尾氏も真田幸隆に降った。
永禄9年(1566年)羽尾長門守幸光、能登守輝幸兄弟は岩櫃城代となり信頼を得たが、天正9年(1581年)真田氏に急襲され幸光は自刃、輝幸は逃れて迦葉山へ退いたが追っ手によって自刃した。その後、羽根尾城には湯本三郎右衛門が在城した。
羽根尾城は羽根尾駅の北西にあり、北の山塊から南西に伸びた尾根に築かれている。現在は町指定史跡として整備されている。
本丸は無線中継塔が建っている所で、南東下に腰曲輪があり二段になっている。一部には土塁が巡り、その上に石碑がある。南西の堀切を挟んで二の丸、三の丸と続く。二の丸は北西側に土塁を設けた細長い曲輪で、三の丸は自然地形に近い曲輪である。
南麓にある一段小高い神社の所に海野長門守の墓がある。この部分は居館のような雰囲気がある。
国道沿いに羽根尾公民館があり、そこから道標が出ている。羽根尾城へは宗泉寺脇の道から山上に通じる林道があり、それを使っていくことができる。車でも可能だが、公民館に駐め、長門守の墓を経由して行くのが良いだろう。
最寄り駅(直線距離)