築城年代は定かではない。
永禄5年(1562年)岩櫃城の斎藤憲広を降した武田氏が真田幸隆の弟常田隆永を城将として守らせた。翌永禄6年斎藤氏に味方した羽根尾城主の羽尾長門守、能登守兄弟によって長野原城は奪還され、隆永の子俊綱は討死した。しかし、すぐさま武田氏も兵を送って取り戻し、湯本善大夫に与えられた。
湯本善大夫は天正3年(1575年)長篠合戦の傷がもとで没し、甥の湯本三郎右衛門が継いだ。
長野原城は長野原町役場の北背後に聳える標高740m程の山に築かれている。
主郭は山頂にあり、櫓台状の高台に石碑と案内板が建っている。主郭は西に虎口があり、虎口の南が西へ張り出し、通路はこの張り出しを回り込んで虎口に入るように工夫されている。この通路は西から一直線に竪堀状の通路として登ってくるようになり、その南北両側に階段状の曲輪を配している。
西に十二坂の峠があり、この部分が追手で二重堀切、さらに屈折させた通路あるいは空堀が続いている。
主郭から東へ伸びる尾根には秋葉山出丸がある。南の尾根は土塁状になり、南東側が削平されて曲輪となる。東へ伸びた尾根にも細い曲輪が付いており、その先に箱岩がある。
国道145号線沿いに長野原郵便局があり、その西にぐんまみらい信用組合がある。登山道はこの向の細い路地を入った所からあり、この奥に長野原城への道標が出ている。
この辺りには駐車スペースがないので、長野原町役場の駐車場を借用した。
最寄り駅(直線距離)