築城年代は定かではない。一説に享録元年(1528年)大内義隆によって築かれたとも云われる。
大内氏は石見銀山から産出した銀を矢滝城下を越えて温泉津港へ運び込んでおり、その街道を相対する矢筈城とともに防衛する拠点として用いられた。
矢滝城は祖式氏(高城を参照)の居城と云われる。
国指定史跡として石見銀山遺跡に登録された城館(山吹城・石見城・矢筈城・矢滝城)のうちの一つである。
城は矢滝山の山頂にあり、南北の頂部に曲輪が築かれている。 北の曲輪は今は廃虚となっているが無線中継施設が建てられていた。 残念ながら城跡は一面の草や笹、樹木が生い茂っており散策する気にならず...。 廃虚となった無線中継施設の上に登ってみると、そこから眺める景色は抜群で、城跡散策はすっかり忘れて景色に見とれていた。
県道201号線の矢滝トンネル東出口(矢滝城の南)に登山口がある。
最寄り駅(直線距離)