築城年代は定かではない。温泉津に抜ける銀山街道を挟んで矢滝城と相対する。 弘治3年(1557年)頃に毛利氏が尼子氏を攻めて矢筈城などから尼子方の勢力を追い払ったという。
国指定史跡として石見銀山遺跡に登録された城館(山吹城・石見城・矢筈城・矢滝城)のうちの一つである。他の城館が案内板が設置されて登山道も整備されている中、この矢筈城は全く整備されておらず、本丸にわずかにお手製の看板があるのみである。
矢筈城は石見銀山から温泉津へ抜ける銀山街道の北西側にある標高479.9mの山頂に築かれている。城は山頂の主郭部と北側の尾根の北曲輪群で構成されている。
主郭は山頂にある南北に長い曲輪と、南下の腰曲輪で構成されている。北尾根は細尾根で先端が岩場になっている。南尾根には東西に八の字状に竪堀があり、この辺りの切岸には天然の石が石垣状になっている。さらに南に浅い堀切、そしてv字状に竪堀が落ちている。
北曲輪群は北へ伸びた尾根先から西に屈折して曲輪がある。三段ほどの曲輪は主郭部一帯より広く、その間の谷間はやや傾斜があるものの概ね平坦になっている。曲輪の北側には土塁が残っている。
整備された道はなさそうです。今回は石見銀山から山吹城を見た後に温泉津へ抜ける銀山街道を通り、降路坂の峠から尾根伝いにアクセスしました。降路坂までは中国自然歩道として整備された山道がありますが、ここから尾根伝いの道になります。尾根道自体は特に薮化した所もなく歩きやすいですが、峠から1.5km以上歩くことになります。
最寄り駅(直線距離)