築城年代は定かではないが佐藤中務大輔によって築かれたと云われる。 佐藤氏は藤原秀郷の子孫で下野国より移り、戦国時代には神戸氏に従っていたという。
弘治3年(1557年)近江六角氏が神戸氏の属城である柿城を攻めた際、神戸城主神戸利盛が救援に赴いた隙に佐藤中務・又三郎父子は謀叛を企て、六角氏の部将小倉三河守の兵を神戸城に迎え入れた。しかし、佐藤氏の家臣古市与介が佐藤氏に叛いて神戸利盛を岸岡城に迎え、長野藤定とともに神戸城を奪還し、佐藤父子は捕らえられた。
岸岡城は岸岡山緑地公園の岸岡山七号古墳の辺りに築かれていたという。城郭体系には標高45mの岸岡山とあるが、鈴鹿市の遺跡情報では北の緑地公園を城址としている。
現在は公園となっており公園の案内板には古墳は記されているが、城址に関する記述はない。堀跡が残るといわれるが、確認できない。