築城年代は定かではない。宗良親王の『李花集』にある和歌から、延元2年(1337年)に一之瀬の土豪愛州氏が南朝の皇子を迎え入れていたことが知られる。
愛州氏は宝徳年間(1449年~1552年)頃には五ヶ所城へ居城を移していた。
天正3年(1575年)北畠信雄が田丸城へ入城するにともない、田丸中務少輔具直(直昌)を岩出城、その父を一之瀬に移している。
一之瀬城は旧一之瀬小学校の東、一之瀬神社のある一之瀬川に面した丘陵に築かれている。
一之瀬神社の北側に隣接するのが主郭で、一部は後世の改変によって垂直の壁になっているが、その周囲は大きな横堀となっている。北側にはさらに堀切が連続して続き、横堀の土塁の一部は塚状になって畝状竪堀を思わせるような形状になっている。
一之瀬神社参道入口に駐車場とトイレがある。城内を散策するルートが設定されており見学し易く整備されている。