因幡 私部城いなば きさいちじょう

城郭放浪記


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因幡 私部城の写真
掲載写真数
形態
山城(270m/120m)
別 名
市場城,私都城
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
毛利氏
歴 史

築城年代は定かではないが毛利氏によって築かれたと云われる。 毛利氏は大江広元を祖とする一族で、毛利元就で著名な安芸毛利氏とは同族である。 私部城の毛利氏は鎌倉時代頃に入部し地頭として在地した。

文明11年(1479年)毛利次郎貞元は因幡国守護山名豊時に対して反乱軍を起こし、細川氏や赤松氏と結んで山名氏と戦った。激戦となったが、翌年には但馬国守護山名政豊によって鎮圧された。長享2年(1488年)貞元は山名政実を擁して再び挙兵したが、前守護の山名豊時によって私部城は包囲され落城した。貞元は自刃して果て、山名政実は矢部館へ逃れて自刃した。これを「毛利次郎の乱」という。

天正9年(1581年)毛利豊元は安芸毛利氏に味方して鳥取城に籠城し、羽柴秀吉と戦ったが、吉川経家の自刃により開城、毛利豊元は但馬へ逃れたといわれる。

説 明

私部城は市場集落の南方の山頂に築かれている。 私部城は標高270m付近の南北に伸びた山頂に主郭を置き、背後の尾根に三条の堀切を設けて遮断する。ここから北西側の山全体に削平地を築き要塞化してあるが、切岸による防御が中心となっていたようで、土塁や堀切はあまり用いられていない。

市場集落から登山道が山頂まで続いており、入口の前にある案内板には壮大な縄張図とともに解説がなされている。登山道は「カエル岩」を経て山頂の主郭に至る。 支尾根はそれほど広くない馬蹄形の曲輪が階段状に連なっているが、本丸が北西方向に伸びる尾根の曲輪は広く切岸も高くなっている。

城山から県道に沿って東へ進むと大樹寺のある福地集落に至るが、ここに毛利豊元の墓と伝えられる宝篋印塔が一基残っている。

案 内

市場集落にある市場神社から西へ歩いて行くと登山口の道標が出ている。道路の反対側に壮大な縄張図入りの案内板が設置されている。

毛利豊元の墓は福地集落の東の外れにあり、県道沿いにある「やまめ」の養殖の看板が目印で、ここから北へ100m程入った所の道路の奥にわずかに宝篋印塔が見えている。(地図)

最寄り駅(直線距離)
4.9km 安部駅
5.0km 隼駅
5.3km 東郡家駅
5.6km 八東駅
5.9km 郡家駅
所在地/地図
鳥取県八頭郡八頭町市場
付近の城(直線距離)
2.8km 因幡 大滝谷城
3.1km 因幡 城山城(国府町松尾)
4.1km 因幡 山崎城
4.2km 因幡 岩崎城
4.5km 因幡 向山城
4.6km 因幡 山本城
5.0km 因幡 高平城
5.1km 因幡 梶原城
5.1km 因幡 峰寺御本陣
5.5km 因幡 南中尾城
6.6km 因幡 伊上陣所
6.8km 因幡 生山城
6.8km 因幡 楠城
6.9km 因幡 城山城
7.0km 因幡 今衣山城
7.4km 因幡 甑山城
7.9km 因幡 恋路城
8.0km 因幡 猪子山城
8.0km 因幡 妙見山城
8.1km 因幡 宇倍山五本松城
8.7km 因幡 奥谷城
9.1km 因幡 椎ヶ谷城
9.2km 因幡 橋本城
9.8km 因幡 面影山城
最終訪問日
2011年9月
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