天正13年(1585年)松倉勝重によって築かれた名張城が始まりとされる。
伊賀上野に転封となった筒井定次は家臣松倉勝重に八千石を与え名張城を築かせた。 天正15年(1587年)松倉重政は家禄を捨て定次との主従関係を切り奈良興福寺成自院に入った。これは酒食に溺れる定次を勝重・重政が父子が諌言したが聞き入れられなかった為ともいわれるが定かではない。
松倉重政は後に豊臣秀吉、徳川家康に仕え肥前国島原六万石を得た。
寛永12年(1635年)伊予国今治から藤堂高吉が領地替えで名張に入り陣屋を築いた。 名張藤堂家は独立した大名とはなれず、伊勢国津の藩内領主という位置付けであった。
現在の名張小学校・中学校一帯が城域であったが、現在は小学校の向にある藤堂家屋敷とその隣の寿栄神社に移築された太鼓門が当時を忍ばせるのみである。
中奥(現存 御殿)
城門(移築 城門)