日向 木脇城ひゅうが きわきじょう

城郭放浪記


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日向 木脇城の写真
掲載写真数
形態
山城(60m/50m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
木脇氏,福永民部四郎,平田宗応,秋月氏
歴 史

築城年代は定かではない。 城主の木脇氏は伊東氏庶流で工藤祐経の子祐時の8男祐頼を祖とする。

永享6年(1434年)には島津軍と伊東・土持連合軍が木脇却生寺(こうしょうじ)前で戦ったが、これが現在城址近くにある興聖禅寺だと云われる。

伊東氏48城のうちの一つで福永民部四郎が城主であったが、伊東氏が豊後に逃走すると島津氏の平田宗応が城主となり、豊臣秀吉によって九州が統一されると、高鍋の秋月氏の所領となり、元和元年廃城となった。

説 明

木脇城は木脇小学校の東、興聖禅寺の北東背後の山に築かれている。

堀切を挟んで東西二つの曲輪があり、東が主郭となっている。西の曲輪は東西に長く北から西にかけて土塁が付く。東の主郭部は南北に長い曲輪で北端に櫓台がある。主郭の北、東、南下などに広い曲輪群がある。

主郭と西郭の間の堀切を南へ降ると鈎状屈折する虎口があり、これが大手道ではないかと思われる。そのまま下へ降りて行くことができるのだが、道は荒廃した竹藪に消えている。

『宮崎県中世城館跡緊急分布調査報告書』の縄張図には記されていないが、この主郭部から北西に伸びた尾根の先にある峰にも曲輪がある。途中に堀切があり、その先に曲輪群があるが、主郭と比べると切岸は低い。

案 内

興聖禅寺の南側の道を東へ進んでいくと案内板が建っている。ここから山へ入って行くことができるが、荒廃した竹藪で苦労する。

最寄り駅(直線距離)
8.3km 蓮ケ池駅
8.7km 宮崎神宮駅
8.8km 日向住吉駅
所在地/地図
宮崎県東諸県郡国富町大字木脇字木ノ峰
付近の城(直線距離)
4.5km 日向 倉岡城
5.0km 日向 鎌田ヶ城
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5.5km 日向 八代城
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8.6km 日向 市之野城
8.6km 日向 諏訪城
9.0km 日向 垂水城
最終訪問日
2015年1月
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